前回の記事でご案内の通り、グレタ・トゥーンベリさんの反温暖化の呼び掛けに、日本の同年代の若者の10人に3人は共感でき、2人は共感できず、5人はどちらとも言えない、ということでした。
日本の18歳にも危機感はあるようだ
とはいえ、彼らが「気候変動なんてどうてもいい」と思っているわけでもないようです。彼らの多くは温暖化は人間活動によるものだと考えており、かつ二酸化炭素排出量は減らすべきだと考えています。
以下、出典:日本財団 18歳意識調査 「第21回 – 気候変動 –」要約版
原因については「わからない」が約30%と少し多いですが、これは率直なところではないでしょうか。なかなか断言するだけの情報を持ち合わせていないのかも知れません。しかし、それが温暖化の原因が何かハッキリとはわからないという層でも、二酸化炭素の排出量については削減した方がいいと考えている人が少なからずおり(詳細資料によると、40%)、全体として約70%が削減すべきと考えています。
日本の18歳はこの危機に「みんなで」取り組みたい
また、彼らは「どうでもよくはないが、私たちは関係ない」と思っているわけでもないようです。温暖化には、社会全体で取り組まないといけないと考えています。
自由回答で「温暖化対策に向けて必要だと思うこと」という設問がありますが、非常に興味深いほどに「ひとりひとりが…」という言説に溢れています。これは見方を考えれば「みんなで取り組もう」ということであり、だからこその「社会全体」です。
もちろん、彼らの言っていることはなにも間違っていません。ひとりひとりの取り組みは大切です。この結果を受けて、「政府より企業より社会全体で、と答える若者の責任感に好感を持った」という論評も拝見しました。しかしながら、それだけでよいのでしょうか。ここに「”ストライキ”は”マーチ”になり、そしてグレタは現れない」背景が浮かび上がります。
日本の18歳は他者を批判したくない?
この件については、ある高校教師の方が大変興味深い意見を新聞紙上で投げかけていますので、ご紹介します。この先生は、プラスチックごみをテーマにした小論文の指導をする中で、高校生の考えに疑問を持ったということです。
以下朝日新聞2020年2月21日付記事:(私の視点)「プラゴミ」定番の結論 批判精神、摘んだ証しか 蜷川純雄より抜粋(全文は有料記事)https://digital.asahi.com/articles/DA3S14352331.html
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いわく、プラスチック製品は大変な勢いで増え、リサイクルを担ってきたアジアの国々でのゴミ処理も行き詰まっている。海に流れ出て、深刻な海洋汚染が指摘される。各国は対策を講じ始めている。私たちも、この世界共通の課題に取り組まなければいけない。まずレジ袋をもらわない、ポイ捨てをしないなど、一人一人ができることから……。
(中略)
……「一人一人の心がけ」だけではなく、企業が社会的責任を果たすことや、行政がそれを主導することを求めなければならないはずだ。ところが、多くの高校生は、こういう結論を避けているようだった。どうも、他者を批判することに根深い抵抗があるように見受けられた。
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前回記事にある通り、日本でグローバル気候マーチを主催した若者グループのメンバーは、世界で使われる「グローバル気候ストライキ」ではなく「マーチ」にしたことについて、「『スト』や『デモ』のような激しい言葉は避け…」と言っています。ストやデモがなぜ
”激しい”かと言えば、そこには他者への批判の意味が込められるからでしょう(念のため書き添えますが、周囲の理解を得るため四苦八苦する彼らを批判する意図はありません)。
この”批判しない若者”について、2点気になる点があります。まず、一見とても誠実に聞こえる”ひとりひとりが”や、”みんなで取り組もう”の精神は、あえて言えば、集団的無責任と表裏一体の場合もあるということです。他者に対する正当な批判は、問題に対する真摯な態度の表出です。
次に、そもそも社会のみんなが同じ責任を負っているわけではありません。これまでの政府の、企業の、個人の行動の結果が今の地球環境です。18歳の彼らにどれほどの責任があるでしょう。そして、劣化した地球に残されるのは今後何十年と生きる若者です。「人を批判するより自分を変えよう」という態度だけが常に正しいわけではありません。
しかし彼らは怒らない。次回は、同じく18歳意識調査に基づいて、そのあたりの背景についても検証します。
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